以前、吉野竜矢が言っていた
「メンバーのライブ中のミスは全部俺のミス」
これはわたしが一音でも音を外したらそこがずっと気になって歌詞が飛んで演奏に集中出来なくなるくらい大ごとらしい。
バンドの顔を背負っているギターボーカルならではの一種の共感性羞恥なのかもしれない。
あぁ、今ベースミスった。
俺のバンドカッコ悪い。っていう。
まあこのおかげで(?)わたしのモットーである
「ベーシストは一音もミスるな」が生まれたんだけど
ここで軽薄な考えのわたしなら気にしすぎだよ〜と言っていたかもしれない。
現にわたしは吉野竜矢がギターをミスろうと歌詞が飛ぼうとそんなに気にならない。
それでも
たとえ慰めのつもりでも気にしすぎだなんてその人にしか見えないモノを自分の尺度で言っていいのだろうか。
その人は果てしなく気にしているのに。
わたしは過去にライブ中に一回だけベースの弦を切ったことがある。
ライブは最後まで弦を切ったままで終了した。
終わってから滅多に泣かないわたしが大号泣しながら片付けをした。
まばたきをしなくてもぼたぼた涙が落ちた。
完全なるメンテナンス不足と何故この弦が切れた?弾き方か?フレットにガリがあったのか?などの原因究明不足に加えて
なによりも自分がライブを壊してしまったという罪悪感で
そのまま一週間ベースを触れないまま塞ぎ込んだ。
これは周りからしたら気にしすぎなのかもしれない。
仕方ないのかもしれない。
それでも
気にしすぎという言葉はやはり自分を救えなくて
この時、気持ちが少し分かるような気がした。
気にしすぎというラインはそれぞれの人の中にあって
自分の気にしてることに対して誰かに気にしすぎと言われる筋合いは無いのだ。
共有することと理解すること
この2つだけでラブアンドピースだ。
気にしすぎという言葉は
もし自分がそんなつもりなく放った一言で相手が深く考えてしまった時のように誤解を解く場合にのみ使う事にしよう。
そうしよう。
ミラクル☆ナイト